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サンマルコ広場でサーフィン!
2008 / 12 / 06 ( Sat )
http://magazine.libero.it/videotormento/crazy/fare-surf-a-venezia-ne9085.phtml

ヴェネツィアの友人から、何とアクアアルタのサンマルコ広場と運河をサーフボードで走ってる人の映像を送ってきました。
無法、無謀なる青年! しかしご当人は爽快だったでしょうね。
オランダのサーファー,”これが夢だった”と言っています。
興味ある方は上のアドレスで見てください。

2000年11月21日、サルーテ教会のお祭りの日の朝5時40分、突然サイレンが鳴り響き、飛び起きました。
8時過ぎ、アパートの窓から見える路地は浸水していないものの、他所に繋がる総ての道が水浸しで長靴なしでは通行不可。
私のアクアアルタ初体験でした。

11時頃散歩に出ると水は引いていて、店々は掃除の真っ最中。
店の床上4、50センチのところまで水浸しだった跡が見え、ヴェネツィア生活の困難さがうかがえました。
この日のアクアアルタ、満潮時は110センチ。

その日の夕方、ジーリオ広場からサルーテ教会へと、大運河を渡る仮橋は沢山の参拝者で賑わっていました。

数年前に、モーゼ計画なるアクアアルタを防御する水門を造る工事が始まりました。
問題点も多々あるようで、反対署名を集めている人達も居るようです。

何としても、ヴェネツィアが永遠に都でありますように、願っています。
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イタリア | コメント(2) | page top↑
メディチ家、フェルディナンドの陰謀
2007 / 01 / 17 ( Wed )
友人がイタリアから送ってくれた新聞、イル・ジョルナーレ紙(2006.12.24)の記事,「メディチ家のミステリー」がとても興味深いので、稚訳ですが載せてみます。

メディチ家のブラックリストの最も陰謀に満ちた章が書き改められる必要がある。
フランチェスコ一世とその2番目の妻、ビアンカ・カペッロがポッジョ・ア・カイアーノのメディチ荘で、1587年に死亡したのは、マラリアによるものではなく、砒素を多量に盛られた為であった。

420年前から、公式の正史=2人ともマラリア感染により11時間前後の間に死亡した=というのは事実ではないのでは、という疑いは、数多くの文学や、葬り去ることのとても出来ない多くの伝説を生んできた。
この疑惑解明について、今、科学的結論に達した。
すなわち、毒殺、であったのだ。

「英国医学新聞」に、この調査ついての記事が載せられた。
紙上、筆者達、フランチェスコ・マーリ、エリザベッタ・ベルトル、アルド・ポレッティーニの法廷毒物学者達と、薬物史家ドナテッラ・リッピは、大公夫妻の死の物語を再構築した。
その物語はメディチ家の「フェルディナンド一世の権力への道筋」を明らかにしている。

あらゆる観点からして、2人の死は宮廷の陰謀であって、この物語、すなわち事件の中には、1人の被疑者と2人の犠牲者がおり、そして当然、なぜ殺したのか、殺されたのか、理由がある。

フランチェスコ一世は、最初の妻、ジョヴァンナ・ダウストリアから「跡継ぎー男子」を得なかった。
2人の間の唯一の公子、ドン・フィリッピーノは5才にならずして亡くなったのだ。
実は、男子は存在していた。ビアンカ・カペッロとの間の子、ドン・アントニオである。

ビアンカはは若いときから、ヴェネチア貴族の娘として知られていた。
1578年、第一夫人ジョヴァンナ・ダウストリアが死亡した。
フランチェスコ一世はビアンカと正式に結婚し、いち早く、新大公妃と唯一の世継ぎであるドン・アントニオを公式に認めることにした。

そうした事、総ては、フランチェスコ一世の弟、フェルディナンドには、気に入らなかった。
権力が自分の手からもがれていくのを恐れたのだ。

そして、メディチ家の王冠を得るための、あらゆる邪魔者を取り除く決意を持つに至った。

それから、大公夫妻は病に倒れ、11日後に亡くなった。

どの様に毒殺が行われたのか?
おそらく、決して明らかになる事はないであろう。
当時、死因追求をそらす方策が取られたにも拘わらず、世間の疑いはフェルディナンドに集中した。

フランチェスコ一世の遺体はフィレンツェに運ばれ、丁重に埋葬された。
一方、大公妃の遺体は、今では知るべくもない場所に放っておかれた。
2人の臓器は検死後、メディチ荘近くの、ボニスタッロの小さな教会に葬られた。
そして2005年5月、ドナテッラ・リッピが掘り起こし、そこに残っていた、乾ききって凝縮し、粉々になった3つの塊は、致死量の砒素を含んだ人体のものであることが明らかになった。

それだけでなく、3つの証拠物件は、人間の肝臓と2つの違った個体、すなわち、男女の物であることが解った。

男の固体から取り出されたDNAは、フランチェスコ一世の顎鬚に付いていた皮膚片;2年前の「メディチ・プロジェクト」、フィレンツェのメディチ礼拝堂での、一連の古病理学上の調査で採取された物。と限りなく酷似していた。

だから、科学者達は、ボニスタッロで見つかった証拠物件は、フランチェスコ一世であると考えた。

フランチェスコとビアンカの内臓がボニスタッロに一緒に埋葬され、見つかった女性の遺体臓器が、フランチェスコと同じく、致死量の砒素を含有していたことから、この女性が、ビアンカ大公妃であると考えるのは論理的である。
彼女も又、夫と共に、毒殺されたのである。
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メディチの墓調査、毒殺 つづき
2007 / 01 / 12 ( Fri )
今日から、イタリア語講座再開。
新年会続きで靄のかかった頭で、1ヶ月ぶりにイタリア語のクラスに出席。靄を忘れて、頑張ってまいりました。

さて、メディチ家の墓調査のつづき。

ビアンカとピエトロはフィレンツェのピエトロの親の家に逃げ込んで、結婚します。二人の間には、女の子が生まれたとか。
ビアンカは追われている身で、外出は出来ません。しばしば窓から外を眺める日々を過ごしておりました。

トスカーナ大公、コジモの息子、フランチェスコが馬に乗り、供を従え窓の下を通りかかり、窓のビアンカを見…通るたびに見上げ…
ビアンカはそれは美しかったという…
次期大公に見初められたビアンカは、ピエトロと彼の両親の大賛成の下、フランチェスコの愛人となります。18歳の時でした。
ビアンカ、ピエトロはこれでヴェネチアから追われる身から解放され、ピエトロ一族にも好機が訪れたという訳です。

当時は離婚が出来なかったので、結婚は出来ませんでした。
離婚が出来るようになったのは、イタリア政府が出来、しかも、1970年になってからのことです。

フランチェスコは数年後(4年?)オーストリアの王女と結婚します。

この時期にビアンカが住んでいた館が、ピッティ宮殿から西に、アルノ川と平行の道を進むと突き当たるマッジョ通り;ダンテがベアトリーチェを見初めたという、サンタ・トリニタ橋を南に渡って
ほんの少し直進した所に、残っています。
見事な模様が描かれたファサードはマッジョ通りで目だっています。
ピッティ宮殿のこんなに近くに住まわせる程ビアンカの存在は公だったのですね。

1572年、夫のピエトロが深い仲になった夫人の夫に殺されます。

暗黙のうちにフランチェスコとビアンカの仲を認めていた大公、コジモが、1574年亡くなり、33歳のフランチェスコがトスカーナ大公国の王、大公となります。

フランチェスコ大公の妹、イザベッラが夫に殺される。
大公正夫人に6人の子(内1人は男児、弱く、5才前に亡くなる)

ビアンカに男児、誕生。名前はドン・アントニオ。

1578年、正夫人は7人目の子身籠るが、教会階段から転倒、出血死。

フランチェスコ大公は正式にビアンカと結婚。
亡くなった前夫人の喪が明けてから、公表。

ヴェネチアはビアンカが駆け落ちした時の裁判記録を破棄し、「ヴェネチア共和国の息女」という栄誉ある、大公と結婚するにふさわしい地位を与えた。
ヴァネチア、ヨーロッパ各地の特使たち、カペッロの親等も列席してビアンカが大公妃となる、戴冠式が盛大に行われた。

1582年、天正の遺欧使節の4少年日本出発、1585年に3月イタリア,リボルノ到着。
トスカーナ大公国のピサに招待され、歓迎舞踏会で大公妃ビアンカと伊東マンショ踊る。

1587年10月、フランチェスコとビアンカは病の床に。
フランチェスコが亡くなって11時間後にビアンカも亡くなる。
マラリアで亡くなったと公表された。

死の直後から、すぐさま大公を継いだ、フランデチェスコ大公の弟フェルディナンド枢機卿によって毒殺されたとの、噂が広まる。

さて、今回の調査報告ニュースによると、教会に収められた、内臓と、墓の調査により、ビアンカの遺体もDNA鑑定で発見された。
そして、フランチェスコ大公とビアンカは、砒素によって、毒殺された、と解明された。

理由として、フェルディナンドが王位に就きたいが為、邪魔になる者を殺したとの意が記事に書いてある。

毒殺者、フェルディナンドの騎馬像がフィレンツェの捨て子養育院前広場にあります。

松田毅一著 「天正遺欧使節」に

「公妃ビアンカはただ者ではない。彼女は若くして情夫とヴェネチアから駆け落ちし、街頭でフランチェスコ一世に見初められ、まんまと公妃を追い出して大公妃の座を獲得した一世の妖婦であった。」と記されています。
いささか憎しみの感情が込められた書き方のように思えますが…
どうしてなのでしょうか?解る方、教えてください。
しかし、まんまと追い出しはせず、先公妃が亡くなった後、正式に結婚したのは、知られた史実らしいです。

塩野七生著「愛の年代記」には

「彼女の死後に決定的になった悪評では、大公をそそのかし、利己的な楽しみばかり追求して、トスカーナ大公国の財政状態を悪くした張本人にされてしまった。
しかし、こういう悪評の根拠となっているのは、生前からビアンカを憎み、大公の死後に僧籍を脱して俗界にもどり、大公位を継いだ元枢機卿のフェルディナンドの、巧妙な宣伝工作に踊らされた当時の世評である。

一方、後世の歴史家たちの評価は、ほぼ一致して良い。
大公妃時代のビアンカは、あまり政治が好きでない夫を助けて、良い忠告者となりながらも出しゃばらず、良き妻として、先王妃の残した子供達の養育にも熱心であった、とされている。」とある。
(フェルディナンドは妻も姦通の咎で殺したとか)

花の都、ルネッサンスの都フィレンツェは、今日も世界中からの人々で、賑わっている事でしょう。
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メディチ家、フランチェスコ一世は毒殺か?に決着
2007 / 01 / 07 ( Sun )
今日、ヴェネチアの友達から、イタリアの新聞「il Giornale」、2006年12月24日の記事の半面切り抜きが送ってきました。

メディチ家のミステリー、4世紀後の決着
(Il giallo dei Medici risolto dopo quattro secoli)と大見出し。

2004年8月に友達から「メディチ家の墓の調査がされる事になり、医者、病理学者ら専門家が組織された」と知らせを受けていた。

ヴェネチア貴族の生まれの、波乱の人生の中でメディチのトスカーナ大公フランチェスコ一世(1541~1587)に見初められ、ついには大公妃となった、ビアンカ・カペッロ。

ビアンカは日本人が初めて一緒に踊ったヨーロッパ人と聞いて、親しみを感じている。
1585年フランチェスコ大公は、天正の遣欧使節、4人の日本人少年を、トスカーナ大公国、ピサに招き、歓迎夜会の舞踏会では,伊東マンショが、ビアンカ・カペッロ大公妃と踊ったのだという。
マンショは、戦に挑む、いざ出陣の覚悟で踊ったのだそうだ。

この大公と大公妃はマラリアで死んだと公表されたものの、11時間差だけの2人の死直後から、毒殺されたとの噂が広まったそうだ。
事実はどうなのか?
今回の記事は、その2人についての調査結果の発表である。

ヴェネチアに行くと毎回、ビアンカ・カペッロの生家を、家正面に架かるポンテ・スポルト(斜めに架けられた橋)から眺める。
リアルト橋西岸を120メートル程直進すると四つ角に出る。
左に曲がり220メートル程道なりに直進すると、サンタポナール広場に着く。広場から右手の路地、ビアンカ・カペッロ通りを通り抜けると、橋に着く。
その橋の正面の館が、母親が亡くなり、父親は再婚し、結婚時に持たせなくてはならぬ持参金惜しさに、修道院に入れられる事になり、フィレンツェの銀行のヴェネチア支店で働いていた、フィレンツェ人ピエトロ(19歳)とフィレンツェへ駆け落ちした、ビアンカ・カペッロ、彼女の16歳までの住まい。
 
ヴェネチアからピエトロには、ヴェネチア貴族の娘をかどわかした者として、彼を殺した者には懸賞金が、そしてカペッロはヴェネチア貴族が持つ特権、財産総て剥奪され、尼僧院入りと決められた。

つづく
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午前0時、キリスト誕生
2006 / 12 / 25 ( Mon )
2年前のクリスマスはヴェネチアにいました。

24日夜11時、ヴェネチア島全部の教会の鐘がなり始めます。
ミサが始まりますの合図。長く長く鳴り続けます。

サンマルコ寺院に出かけると、寺院の前には行列が出来ていて、それを少しずつ入れていており、教会に入れた時は、もうミサが始まっていました。

常時は床のモザイク保護、見せるために中央部には入れないのですが、床の大部に、堂内T字形に椅子が置いてあり、満席。立つ人いっぱい。

集まる人のほとんどが教区民である他の教会では、11時30分にミサが始まる直前に行って席があったのですが、サンマルコ寺院は、旅人カソリック信徒、観光客などで満杯。
教区民は30人位か、T字型の一般席の前側、一般席からは、半円けいの階段数段上がった所の祭壇前の席にいました。

ミサはイタリア語、英語、フランス語、ドイツ語で進みました。

パイプオルガンの響き。男声合唱、女性合唱、混声合唱、独唱、言葉が教会内に響く。
分割合唱が誕生した教会で、分割合唱を聴きました!
歌う場所が祭壇側の、高いところ、下、中間、前、後ろと、立体的。
その教会の複雑な、高ぁ~い天井、空間に響く。素晴らしかった。

25日、午前0時、祭壇側の上がる数段の半円形階段に置いてあった藁床に赤ちゃんキリスト像が置かれました。キリスト誕生!

堂内の鐘が鳴らされ、オルガン、合唱は歓喜の声!響きわたり、堂内が黄金色に輝きました!
空気がどよめき、涙が出てしまいました。

堂内は天井も壁も総てが、黄金地色のモザイク画で覆われていますが、こんな風に、照明が当てられるなど、思いがけない事でした。
 
帰り道、途中にある教会はミサは終わっていて、路地通る人は無く、フォルモーザ教会近くのアパートに一人足音を響かせて帰宅。
1時50分でした。
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無人島のイタリア人
2006 / 10 / 17 ( Tue )

ヴェネチアの友人がこんなメールをくれました。
後ろに、私の稚訳文を付けましたが、よき日本語文に訂正してお読みください。


Strano esperimento: italiani su un'isola deserta Il dipartimento di scienze comportamentali di una nota università italiana ha deciso di fare un esperimento singolare: ha individuato dieci isole deserte in mezzo all'oceano e vi ha portato le seguenti persone:


    Isola 1: due siciliani e una siciliana
    Isola 2: due napoletani e una napoletana
    Isola 3: due altoatesini e una altoatesina
    Isola 4: due sardi e una sarda
    Isola 5: due toscani e una toscana
    Isola 6: due liguri e una ligura
    Isola 7: due veneti e una veneta
    Isola 8: due torinesi e una torinese
    Isola 9: due romani e una romana
    Isola 10: due milanesi e una milanese

Due mesi dopo sulle isole si e` verificata la seguente situazione


    Isola 1:
    Uno dei siciliani ha ucciso l'altro per restare solo con la siciliana.
    Isola 2:
    I due napoletani e la napoletana vivono felici e contenti in un armonioso mènage a trois.
    Isola 3:
    I due altoatesini hanno fatto un programma settimanal e per alternarsi a fare sesso con la altoatesina.
    Isola 4:
    I due sardi dormono insieme, e la sarda svolge le faccende domestiche e cucina per loro.
    Isola 5:
    I due toscani stanno aspettando che qualcuno li presenti alla donna toscana.
    Isola 6:
    I due liguri hanno guardato il mare,poi hanno guardato la ligura,poi hanno guardato il mare ed hanno iniziato a nuotare...
    Isola 7:
    I due veneti hanno aperto ciascuno una distilleria.Non riescono a ricordare se fanno sesso con la donna veneta oppure no,colpa della troppa grappa di cocco,ma almeno sono soddisfatti perche’non ci sono terroni.
    Isola 8:
    Ognuno dei due torinesi e` convinto che la torinese faccia sesso soltanto con lui...
    Isola 9:
    I due romani hanno trovato un'altra donna e quindi fanno gli scambi di coppia.
    Isola 10:
    I due milanesi si stanno ancora menando per decidere chi e` piu` forte la milanese e` andata a nuoto all'isola dei romani...


Testo riproducibile a patto che venga citato l'indirizzo
(この記事は、以下のURLをリンクすることを条件に、掲載しています)
http://www.magnaromagna.it


イタリアの某有名大学の行動学科が、風変わりな実験をする事を決め、大洋の真ん中の10の無人島を選び、そこに次の人達を連れて行った。


1の島:シチリア男2人とシチリア女1人
2の島:ナポリ男2人とナポリ女1人
3の島:トレンティーノ・アルト・アディジェ州の男2人と女1人
    (イタリア最北の州で、アルプス直下の州)
4の島:サルデーニャ島の男2人と女1人
5の島:トスカーナ州の男2人と女1人
6の島:ヴェネト州の男2人と女1人
    (ちなみにヴェネチア人はVeneziano/i,Veneziana/e)
7の島:リグーリア州の男2人と女1人
    (ジェノヴァ市の在る、イタリア北西海岸部の州)
8の島:トリノ男2人にトリノ女1人
9の島:ローマ男2人にローマ女1人
10の島:ミラノ男2人にミラノ女1人


<2ヶ月後、島では次の状況が確認された>


1の島:1人のシチリア男が、もう一人の男を殺した、女性を独占せんがため。

2の島:ナポリ男2人とナポリ女は、円満なる三角関係で(なぜか三角関係だけフランス語)、幸せに、満足して暮らしていた。

3の島:二人のアルト・アディジェ男達は、女性と交互にセックスするために、毎週の計画表を作った。

4の島:2人のサルデーニャ男は一緒に寝、そして女は女中仕事に懸命、彼らの為に料理をし…

5の島:2人のトスカーナ男達は、誰かが彼らをトスカーナ女に紹介してくれるのを、待ち続けています。

6の島:2人のリグーリア男達は海を眺めた…次に女性を眺めた…次に海を眺めた、そして泳ぎ始めた……

7の島:2人のヴェネト男達は、それぞれ、蒸留酒製造所を作った。ヴェネト女とセックスするかしないかなんて、そんな事思い出すことも出来なかった。ココヤシのグラッパ(蒸留酒)飲み過ぎて!    
しかし、ともかく満足していた、なんでって、ここには南部男達がいないんでね。(南部男はどんな性格って言われてるのか、ご存知の方誰か教えてください)

8の島:トリノ男2人はそれぞれ、トリノ女は自分とだけセックスするんだ、と相手に説得されています。

9の島:2人のローマ男達は、1人のローマ女の他にもう1人女性をゲットした。だから夫婦交換して…

10の島:2人のミラノ男達は、いまだ、どちらが強いか決めるのに 時を費やしています。ミラノ女は、泳いで他の島へ… ローマ人の島に行きました…


おそまつ!
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