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謡わないで!
2007 / 02 / 24 ( Sat )
昨日は、御茶ノ水の病院からイタリア語講座に出席し、そして観世能樂堂にと、行くつもりでしたが、病院でことのほか長時間かかり、イタリア語に間に合わず、病院から能楽堂に急ぎました。

能「藤戸」
シテ 松本尚之 ワキ 殿田謙吉 間 大蔵吉次郎
地頭 観世恭秀

前場、息子を殺された母(シテ)の声、美しい声でした。
静かに出、悲しみの様子、そして殺したワキに激して詰め寄り、また静かに中入り。
後場のシテ、殺された漁夫の亡霊に、見入り、聞き入りました。
終盤、杖を持っての舞、素晴らしく、この部は私の母が亡くなった直ぐ後、姉が舞囃子を舞った曲であり、こもごも思いが沸いてきて、と、聞き入る謡に、がさがさした変なな声が重なって…何?

1人の婦人が謡っていました。謡本を見て。前から2列目で。
信じられません!
離れているので、注意できず、耐えるしかありませんでしたが、不快で、残念でした。舞に集中しようとしたのですが…
もしこんな人がいたら、近くの方、お願いです、すぐに注意してください。
その人は「藤戸」が終わると、次の狂言、後の能は見ずに、出て行きました。

狂言「柑子」(こうじ) 
大蔵弥太郎 大蔵基誠

主人から預かった、頂き物の、珍しく1本の枝に3つ成ったみかんを食べてしまった太郎冠者、主人に返せと言われ、あれこれ言い訳をします。

1つは枝から落ち転がって門を出ようとしたので「柑子門を出でず」で皮を剥いて食べました。
転がってはいかんと懐に入れたら、刀の鍔で1つ潰れたので、そのままパクッ。
3つ目は俊寛の流刑仲間2人は許され迎えの船に乗ったのに、俊寛只1人取り残され…(みかん1つ残るは哀れ、とは言葉にしませんでしたが)食べちゃった。と。

太郎冠者の主人との掛け合い、間合いの面白さを私には説明出来ませんが、狂言、面白いです。
狂言で席立つ人々、もったいない、ですよ。

「お供を致いて…」「取りい出いて…」 致して。出して。
大蔵家では「し」を「い」と発音するんですね。

能「岩船」
シテ 金子房聡哉 ワキ 村瀬提 地頭 藤波重彦

観世流だけが、江戸中期以降、半能だそうだ。
(前場無し、後場だけ演じる)
初めにワキ、ワキツレ2人が出て来て、詞と同吟がありましたが、かなりの年配と見えるワキツレの1人の方の声がはずれ、がっかり、如何かと思いました。

シテの出。煌びやかな輝く衣装で、頭には龍の冠の龍神が、
颯爽と舞って、お終い。
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謡・仕舞 | コメント(0) | page top↑
お吉さんは3日だけ
2007 / 02 / 21 ( Wed )
17日謡仲間6人と下田、爪木崎に行って来ました。
下田駅前で昼食をとり、唯一の男性84歳のおじさまの希望により、タクシーで「玉泉寺」へ。

玉泉寺は1856年にハリスが日本に初めて米国総領事館を開いたお寺。
しかし、行ってみると、市街から離れ、そして境内は広くなく、小さなお寺で、なぜここを領事館にしたのか、不可解。
はたして、領事館の場所をどこにするか、日米で激しい攻防があったそう。
市街に置きたいと主張するアメリカ。
ハリスが来日する2年前に日米和親条約締結により、下田が開港され、玉泉寺はアメリカ人の休息所になり、埋葬所にもなっており、また住職は住んでいなかったこの玉泉寺を領事館にしたい日本側。

庭の隅の河津桜が満開でした。
境内にある、ハリス記念館に入る。
案内役の方が30分後に迎えに来るよう宿に電話をしてくれて、流れる如く名調子で説明をし、さっと次の部屋へ、次の部屋へと引率される。

この寺にオランダ人通訳と中国人召使と共に住んでいるハリスの所に、芸者お吉さんが、莫大な支度金と4ヶ月分の超高給料をもらって通い始めたが、3日目にはもう来なくて良いと言われ、お勤めは終わりと成った、とは、知らなんだ。
お吉さん17歳の時。
お吉さんは、月日たって、再度ハリスのもとで働きたいたいと願い出たが、ハリスは断ったそうである。

タウンゼント・ハリスは1846年はニューヨーク市教育局長であった。
1847年にフリーアカデミー創設(現ニューヨーク市立大学)。

1856年7月米国総領事として下田に着任。
1859年5月領事館を江戸、麻布の禅福寺に移す。
1862年アメリカに帰国。

ハリスは、下田で役人以外とは交流の無い孤独な生活だったらしいが、だからといって、お吉さんの様な相手を望む人ではなかった…のかな?

寺の庭には牛乳の碑、と屠牛木の碑があった。
当時の日本には牛乳を飲む習慣が無かったので、牛乳を集めるのに大変な苦労があったそうな。
子牛が飲んだ後絞って、1頭からほんの少しづつの牛乳を集めて回り…大変高いものになったという。
屠殺も、この庭で日本で初めて行われたそうだ。
曹洞宗のこのお寺の境内で牛屠殺が行われたとは、今聞いても衝撃。

宿の迎えの車が来た。
案内説明してくださったお寺の方が、門前まで出て丁寧に見送ってくださった。
庭に建つハリス記念碑の裏面に渋沢栄一氏の碑文があり、引き込まれたが、途中までしか読めなかった。
いつか最後まで読みに来よう。

3月27日、最後は乞食となり川に身投げして死んだお吉さんの命日に下田で供養祭が行われています。
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