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同じ大蔵流なのに?
2006 / 12 / 24 ( Sun )
今年は残すところ後1週間のみとなりました。
大晦日には、近くのお不動さんで除夜の鐘をついてみたいと思いつ、寒夜の長蛇の列と鐘楼への細く長い急階段にひるんでいましたが…
今年も長い列かなぁ。

昨日藤波能の会で、大蔵流、大蔵吉次郎さん(初めて拝見)の「鐘の音」を見ました。
先月見た和泉流では太郎冠鎌は屈託無く「鐘の音」と思い込んで鎌倉に出かけましたが、昨日の太郎冠者は、「成人の祝いに何で突き鐘の音?(主人は付け金の値と言った)でも言いつけだから参ろう」と出かけます。

五大堂の鐘。太郎冠者が突きますと、「グワッ」、割れ鐘。

寿福寺の鐘。人々に突かせぬので、太郎冠者は石を投げます。
      大きい石を投げても、小さい音で「キィーン」

極楽寺の鐘。山頂に鐘楼。登らず下で聴く。「コーン」「コーン」
      響きの無い、硬い音だ、と言う。

建長寺の鐘。太郎冠者が突きますと、「ジャ~~~ンモ~~~ン
      モ~~~ンモ~~~ンモ~~~ンモ~~~ン」

太郎冠者が帰って、鐘の音を報告すると、主人は怒ります。
その主人に向かって、自分の思い違いは置いといて、「付け金の値なら、そうとはっきり言えばよかったのだ」と言い返しました。
びっくりしました。
しかし、主人に勝てるわけは無く、主人に追われて逃げようとします…
これで終わりか…
とすると、橋掛りに、主人と同格の衣装でずっと座っている人は何なんだ?
と、その人が「まず待たらせられい!」と太郎冠者と主人の間に割って入りました。仲裁役でした。

仲裁によって、太郎冠者は自分の不調法を反省し、「突き鐘も目出度いもの、和子さまのお差し初めを世にワッと響き渡らせられるよう、鎌倉の突き鐘の音をおめにかけます。
機嫌をなおして聞いて下さるように」と言い謡い出します。
主人も喜んで、めでたしめでたし。

大蔵流狂言なので、山本東次郎さんと同じ台詞回しと思っていましたが、大違い。
和泉流と全く同じ、自然な話し言葉の抑揚に近くて、大蔵流でも全く違った芸風の家、家があると初めて知りました。

大蔵流山本家の狂言を始めて拝見した時は、力強い台詞で語尾を上げる、現代言葉と余りにリズム、高低が違っており、違和感にとまどいましたが、何度か拝見するうち、真似したくなってきて「それではまいろおぉ」などとやっております。
最後の音程がいいんです。くせになります。

なぜ同じ流派なのに芸風がこんなに違っているのか、「能狂言事典」(平凡社)を見てみました。
始祖から詳しく載っていますが、う~~んと、ほとんどを省略して、

”大蔵流は江戸幕府のお抱えの狂言として洗練され、芸風も剛健で能に近い趣と言われていた。
明治時代に本家は中絶したが茂山家、山本家など弟子家が続いている。山本家では今でも伝統の芸風維持に努めている。
茂山諸家は写実味を加えていった。”とあります。

茂山家は爆発的面白さですよね。面白く、魅力増すよう、工夫変革があったんですね。
山本家、現代人の言葉リズムと異なる、伝統の芸風を維持しようという事は、大変な難事だと思います。これもすごい事ですよね。
緊張をほぐす演劇、狂言において。

和泉流と大蔵流大蔵家の「鐘の音」を続けて拝見しましたが、山本東次郎さんの「鐘の音」どんなでしょうか?
観たいです!

さて帰りは、謡い仲間と天ぷら屋で、今年最後の乾杯。
木々はクリスマスのイルミネーションで明るく輝いて、通りは若者であふれる渋谷の街を駅に向かいました。
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