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メディチの墓調査、毒殺 つづき
2007 / 01 / 12 ( Fri )
今日から、イタリア語講座再開。
新年会続きで靄のかかった頭で、1ヶ月ぶりにイタリア語のクラスに出席。靄を忘れて、頑張ってまいりました。

さて、メディチ家の墓調査のつづき。

ビアンカとピエトロはフィレンツェのピエトロの親の家に逃げ込んで、結婚します。二人の間には、女の子が生まれたとか。
ビアンカは追われている身で、外出は出来ません。しばしば窓から外を眺める日々を過ごしておりました。

トスカーナ大公、コジモの息子、フランチェスコが馬に乗り、供を従え窓の下を通りかかり、窓のビアンカを見…通るたびに見上げ…
ビアンカはそれは美しかったという…
次期大公に見初められたビアンカは、ピエトロと彼の両親の大賛成の下、フランチェスコの愛人となります。18歳の時でした。
ビアンカ、ピエトロはこれでヴェネチアから追われる身から解放され、ピエトロ一族にも好機が訪れたという訳です。

当時は離婚が出来なかったので、結婚は出来ませんでした。
離婚が出来るようになったのは、イタリア政府が出来、しかも、1970年になってからのことです。

フランチェスコは数年後(4年?)オーストリアの王女と結婚します。

この時期にビアンカが住んでいた館が、ピッティ宮殿から西に、アルノ川と平行の道を進むと突き当たるマッジョ通り;ダンテがベアトリーチェを見初めたという、サンタ・トリニタ橋を南に渡って
ほんの少し直進した所に、残っています。
見事な模様が描かれたファサードはマッジョ通りで目だっています。
ピッティ宮殿のこんなに近くに住まわせる程ビアンカの存在は公だったのですね。

1572年、夫のピエトロが深い仲になった夫人の夫に殺されます。

暗黙のうちにフランチェスコとビアンカの仲を認めていた大公、コジモが、1574年亡くなり、33歳のフランチェスコがトスカーナ大公国の王、大公となります。

フランチェスコ大公の妹、イザベッラが夫に殺される。
大公正夫人に6人の子(内1人は男児、弱く、5才前に亡くなる)

ビアンカに男児、誕生。名前はドン・アントニオ。

1578年、正夫人は7人目の子身籠るが、教会階段から転倒、出血死。

フランチェスコ大公は正式にビアンカと結婚。
亡くなった前夫人の喪が明けてから、公表。

ヴェネチアはビアンカが駆け落ちした時の裁判記録を破棄し、「ヴェネチア共和国の息女」という栄誉ある、大公と結婚するにふさわしい地位を与えた。
ヴァネチア、ヨーロッパ各地の特使たち、カペッロの親等も列席してビアンカが大公妃となる、戴冠式が盛大に行われた。

1582年、天正の遺欧使節の4少年日本出発、1585年に3月イタリア,リボルノ到着。
トスカーナ大公国のピサに招待され、歓迎舞踏会で大公妃ビアンカと伊東マンショ踊る。

1587年10月、フランチェスコとビアンカは病の床に。
フランチェスコが亡くなって11時間後にビアンカも亡くなる。
マラリアで亡くなったと公表された。

死の直後から、すぐさま大公を継いだ、フランデチェスコ大公の弟フェルディナンド枢機卿によって毒殺されたとの、噂が広まる。

さて、今回の調査報告ニュースによると、教会に収められた、内臓と、墓の調査により、ビアンカの遺体もDNA鑑定で発見された。
そして、フランチェスコ大公とビアンカは、砒素によって、毒殺された、と解明された。

理由として、フェルディナンドが王位に就きたいが為、邪魔になる者を殺したとの意が記事に書いてある。

毒殺者、フェルディナンドの騎馬像がフィレンツェの捨て子養育院前広場にあります。

松田毅一著 「天正遺欧使節」に

「公妃ビアンカはただ者ではない。彼女は若くして情夫とヴェネチアから駆け落ちし、街頭でフランチェスコ一世に見初められ、まんまと公妃を追い出して大公妃の座を獲得した一世の妖婦であった。」と記されています。
いささか憎しみの感情が込められた書き方のように思えますが…
どうしてなのでしょうか?解る方、教えてください。
しかし、まんまと追い出しはせず、先公妃が亡くなった後、正式に結婚したのは、知られた史実らしいです。

塩野七生著「愛の年代記」には

「彼女の死後に決定的になった悪評では、大公をそそのかし、利己的な楽しみばかり追求して、トスカーナ大公国の財政状態を悪くした張本人にされてしまった。
しかし、こういう悪評の根拠となっているのは、生前からビアンカを憎み、大公の死後に僧籍を脱して俗界にもどり、大公位を継いだ元枢機卿のフェルディナンドの、巧妙な宣伝工作に踊らされた当時の世評である。

一方、後世の歴史家たちの評価は、ほぼ一致して良い。
大公妃時代のビアンカは、あまり政治が好きでない夫を助けて、良い忠告者となりながらも出しゃばらず、良き妻として、先王妃の残した子供達の養育にも熱心であった、とされている。」とある。
(フェルディナンドは妻も姦通の咎で殺したとか)

花の都、ルネッサンスの都フィレンツェは、今日も世界中からの人々で、賑わっている事でしょう。
イタリア | コメント(3) | page top↑
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コメント

火の無いところに煙は立たぬ(Non c'e`fumo senza fuoco.)は、科学的な真実なんですね。為政者としては不十分でも、奇妙な趣味の持主だったとか言われるフランチェスコには興味がありました。
by: Yiszk * 2007/01/16 18:11 * URL [ 編集] | page top↑
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by: * 2007/01/20 01:58 * [ 編集] | page top↑

<Yiszkさん>
サンタ・マリーア・ア・ボニスタッロ教会の地下教会に
2つの十字架と共に納められていた2人の臓腑は、
この日を待っていたのでしょうか?
by: コリーナ * 2007/01/23 11:11 * URL [ 編集] | page top↑
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