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メディチ家、フェルディナンドの陰謀
2007 / 01 / 17 ( Wed )
友人がイタリアから送ってくれた新聞、イル・ジョルナーレ紙(2006.12.24)の記事,「メディチ家のミステリー」がとても興味深いので、稚訳ですが載せてみます。

メディチ家のブラックリストの最も陰謀に満ちた章が書き改められる必要がある。
フランチェスコ一世とその2番目の妻、ビアンカ・カペッロがポッジョ・ア・カイアーノのメディチ荘で、1587年に死亡したのは、マラリアによるものではなく、砒素を多量に盛られた為であった。

420年前から、公式の正史=2人ともマラリア感染により11時間前後の間に死亡した=というのは事実ではないのでは、という疑いは、数多くの文学や、葬り去ることのとても出来ない多くの伝説を生んできた。
この疑惑解明について、今、科学的結論に達した。
すなわち、毒殺、であったのだ。

「英国医学新聞」に、この調査ついての記事が載せられた。
紙上、筆者達、フランチェスコ・マーリ、エリザベッタ・ベルトル、アルド・ポレッティーニの法廷毒物学者達と、薬物史家ドナテッラ・リッピは、大公夫妻の死の物語を再構築した。
その物語はメディチ家の「フェルディナンド一世の権力への道筋」を明らかにしている。

あらゆる観点からして、2人の死は宮廷の陰謀であって、この物語、すなわち事件の中には、1人の被疑者と2人の犠牲者がおり、そして当然、なぜ殺したのか、殺されたのか、理由がある。

フランチェスコ一世は、最初の妻、ジョヴァンナ・ダウストリアから「跡継ぎー男子」を得なかった。
2人の間の唯一の公子、ドン・フィリッピーノは5才にならずして亡くなったのだ。
実は、男子は存在していた。ビアンカ・カペッロとの間の子、ドン・アントニオである。

ビアンカはは若いときから、ヴェネチア貴族の娘として知られていた。
1578年、第一夫人ジョヴァンナ・ダウストリアが死亡した。
フランチェスコ一世はビアンカと正式に結婚し、いち早く、新大公妃と唯一の世継ぎであるドン・アントニオを公式に認めることにした。

そうした事、総ては、フランチェスコ一世の弟、フェルディナンドには、気に入らなかった。
権力が自分の手からもがれていくのを恐れたのだ。

そして、メディチ家の王冠を得るための、あらゆる邪魔者を取り除く決意を持つに至った。

それから、大公夫妻は病に倒れ、11日後に亡くなった。

どの様に毒殺が行われたのか?
おそらく、決して明らかになる事はないであろう。
当時、死因追求をそらす方策が取られたにも拘わらず、世間の疑いはフェルディナンドに集中した。

フランチェスコ一世の遺体はフィレンツェに運ばれ、丁重に埋葬された。
一方、大公妃の遺体は、今では知るべくもない場所に放っておかれた。
2人の臓器は検死後、メディチ荘近くの、ボニスタッロの小さな教会に葬られた。
そして2005年5月、ドナテッラ・リッピが掘り起こし、そこに残っていた、乾ききって凝縮し、粉々になった3つの塊は、致死量の砒素を含んだ人体のものであることが明らかになった。

それだけでなく、3つの証拠物件は、人間の肝臓と2つの違った個体、すなわち、男女の物であることが解った。

男の固体から取り出されたDNAは、フランチェスコ一世の顎鬚に付いていた皮膚片;2年前の「メディチ・プロジェクト」、フィレンツェのメディチ礼拝堂での、一連の古病理学上の調査で採取された物。と限りなく酷似していた。

だから、科学者達は、ボニスタッロで見つかった証拠物件は、フランチェスコ一世であると考えた。

フランチェスコとビアンカの内臓がボニスタッロに一緒に埋葬され、見つかった女性の遺体臓器が、フランチェスコと同じく、致死量の砒素を含有していたことから、この女性が、ビアンカ大公妃であると考えるのは論理的である。
彼女も又、夫と共に、毒殺されたのである。
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