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お吉さんは3日だけ
2007 / 02 / 21 ( Wed )
17日謡仲間6人と下田、爪木崎に行って来ました。
下田駅前で昼食をとり、唯一の男性84歳のおじさまの希望により、タクシーで「玉泉寺」へ。

玉泉寺は1856年にハリスが日本に初めて米国総領事館を開いたお寺。
しかし、行ってみると、市街から離れ、そして境内は広くなく、小さなお寺で、なぜここを領事館にしたのか、不可解。
はたして、領事館の場所をどこにするか、日米で激しい攻防があったそう。
市街に置きたいと主張するアメリカ。
ハリスが来日する2年前に日米和親条約締結により、下田が開港され、玉泉寺はアメリカ人の休息所になり、埋葬所にもなっており、また住職は住んでいなかったこの玉泉寺を領事館にしたい日本側。

庭の隅の河津桜が満開でした。
境内にある、ハリス記念館に入る。
案内役の方が30分後に迎えに来るよう宿に電話をしてくれて、流れる如く名調子で説明をし、さっと次の部屋へ、次の部屋へと引率される。

この寺にオランダ人通訳と中国人召使と共に住んでいるハリスの所に、芸者お吉さんが、莫大な支度金と4ヶ月分の超高給料をもらって通い始めたが、3日目にはもう来なくて良いと言われ、お勤めは終わりと成った、とは、知らなんだ。
お吉さん17歳の時。
お吉さんは、月日たって、再度ハリスのもとで働きたいたいと願い出たが、ハリスは断ったそうである。

タウンゼント・ハリスは1846年はニューヨーク市教育局長であった。
1847年にフリーアカデミー創設(現ニューヨーク市立大学)。

1856年7月米国総領事として下田に着任。
1859年5月領事館を江戸、麻布の禅福寺に移す。
1862年アメリカに帰国。

ハリスは、下田で役人以外とは交流の無い孤独な生活だったらしいが、だからといって、お吉さんの様な相手を望む人ではなかった…のかな?

寺の庭には牛乳の碑、と屠牛木の碑があった。
当時の日本には牛乳を飲む習慣が無かったので、牛乳を集めるのに大変な苦労があったそうな。
子牛が飲んだ後絞って、1頭からほんの少しづつの牛乳を集めて回り…大変高いものになったという。
屠殺も、この庭で日本で初めて行われたそうだ。
曹洞宗のこのお寺の境内で牛屠殺が行われたとは、今聞いても衝撃。

宿の迎えの車が来た。
案内説明してくださったお寺の方が、門前まで出て丁寧に見送ってくださった。
庭に建つハリス記念碑の裏面に渋沢栄一氏の碑文があり、引き込まれたが、途中までしか読めなかった。
いつか最後まで読みに来よう。

3月27日、最後は乞食となり川に身投げして死んだお吉さんの命日に下田で供養祭が行われています。
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